【ゆうやんのデッキメモリー】初めてのデッキ"ブルードスター親和"

【ゆうやんのデッキメモリー】初めてのデッキ"ブルードスター親和"

皆さんこんにちは。

ゆうやんのデッキメモリーは、今年でマジックを初めて21年目になる僕が、思い出に残っているデッキを紹介していく記事です。

昔を知っている方は一緒に懐かしんで、知らない方は昔話にお付き合いください!

マジックとの出会い

僕がマジック:ザ・ギャザリングと出会ったのは、中学生の時だった。


僕の地元は中野駅に自転車で行ける距離で、その日も特に理由もなく、中野で遊ぶことに。

常に人で賑わう中野サンモールを、特に何か買うわけでもなく歩き、そのままブロードウェイへ。いつもは2階に上がってそのアングラな雰囲気を楽しむところだったが、その日はなぜか1階をもう少し歩いてみることにした。

そして…一件の店の前で立ち止まった。

ただでさえ狭い店内に置かれているショーケース。その中にはカードが並び、小さい机では2人の大人がカードゲームをプレイしていた。

小学校で遊戯王は流行っていたから、カードゲーム自体はもちろん馴染みがあったが、大人がカードを遊んでいるのを見たのは初めて。なかなかの衝撃だった。

そのお店はアメニティドリーム中野店。

後に知ることになるのだが、そこで遊んでいたのは、アメニティドリームの社長と副社長。

興味津々にショーケースを見つめる僕に、2人は話しかけてくれた。

「プロとかもいて、賞金がもらえるんだよ」
「うちのお店にもプロが遊びに来てるんだよ」

そのお店によく遊びに来るというプロは、日本人初の殿堂表彰者、ローリー(藤田 剛史)さんで、それから20年後にローリーさんと僕が焼肉を食べることになるのだから、人生とはわからないものだ。

「プロがいて、賞金をもらっている」その言葉は、中学生の僕には衝撃的すぎた。

そして中学生がなけなしのお小遣いでデッキを組むには、それは十分すぎる言葉だった。

ブルードスター親和

「今が一番いい時だよ!今ならめちゃくちゃ強いデッキが安く組めるよ!」

今聞くと実に胡散臭い言葉だが、言われるがままに組んだデッキは、今考えてもすごく安くて強く、その言葉通りだったと思う。

悪名高き初代『ミラディン』の代名詞ともいえるデッキ、親和だ。

当時トップレアだった《金属モックス》は3000円で当然買うことはできなかったが、それでも十分な強さだった。



このデッキはほとんどのカードがコモンで、レアの《ブルードスター》も1枚80円。確か一番高いカードは《空僻地》で300円程度。その次は150円の《稲妻のすね当て》、100円の《知識の渇望》だったと思う。後は全部10円で買ったはず。

デッキコンセプトは単純。アーティファクトを並べて親和を稼ぎ、《金属ガエル》、《マイアの処罰者》、《厳粛な空護り》、《ブルードスター》を高速召喚する。

《稲妻のすね当て》で《ブルードスター》を突然走らせたり、0マナで《マイアの処罰者》や《金属ガエル》を出して《踏みにじり》と《分散の盾》を構えるなど、突然死のあるクロックパーミッションだった。

特に《分散の盾》と親和クリーチャーの相性の良さは目を見張るものがあった。《マイアの処罰者》を出していればほぼ2マナの《対抗呪文》だし、《金属ガエル》でも《神の怒り》を打ち消せる。

《分散の盾》と親和クリーチャーたちの相性の良さに驚き、「似たようなカードですごいことできないかな?」と大人たちに聞いた結果、《流れ込む知識》を見つけた時は感動したものだ。《ブルードスター》で10枚引いたことがある人、友達になりましょう!

このデッキを使ってアメニティドリーム中野店に毎日行き、とにかく対戦しまくっていたが、勝率は8割ぐらいあったはず。みんなカジュアルデッキで遊んでくれていたおかげだろうけど。

ここでたくさん勝たせてもらったから、マジックというゲームにのめり込んでいったのだと思う。

その内、アメニティドリーム中野店以外の場所でもマジックを遊びたくなった僕に、社長は「フライデーナイトマジック」の存在を教えてくれた。

僕がマジックに更にのめり込むきっかけになり、そして人生で初めて出たフライデーナイトマジックで《アクローマの復讐》に1対8交換を取られて泣くことになるのだが、それはまた少し先のお話。